十六羅漢石仏
この地は、江戸時代前期の曹源寺という寺院跡と伝えられている。 尾張領付知村の宗敦寺の住職が苗木雲林寺へ出張するときの中宿として建てられたと言われ、魏海和尚(宗敦寺の住職)の隠居寺とも言われている。今では寺域も不明確で当時を偲ぶ ことは出来ない。廃仏毀釈による首のない六地蔵も安置されており、付知川の丸石が代用されている。