知原橋供養塔
苗木城下と蛭川・中野方・八百津を結ぶ街道が旧黒瀬街道である。当時付知川には橋がなく、往還の人々は随分難渋していた。文化2年(1805)高山村の後藤東吾が中心となって付知川に橋を架けた。これが最初の知 原橋である。同年、村人はその喜びと共に水の犠牲者の供養と災厄排除の願いを込めて、岩 松寺住職の揮毫による供養塔を造立して記念碑とした。