書家 丹羽海鶴
海鶴は、文久3年田瀬村庄屋丹羽五兵衛の四男として生まれ、幼名を金吾、名を正長と言った。岐阜師範学校卒業後教鞭の傍ら書を学び、明治書道界の重鎮鳴鶴に認められ、その門に入る。書の研鑽に心血を注ぎ、ついに学習院書道教師・各宮家の家庭教師・高等師範の書道講師等日本書道界の指導者となる。