新兵衛・新四郎屋敷跡
下野村庄屋田口新兵衛は、隣村との山論の調停に条理を尽くし努力したが一向に好転せず、苗木藩に提訴したが下野村方敗訴という重罪の断が下された。新兵衛とその子新四郎は憤恨やるかたなく、元禄二年七月庄屋屋敷を炎上させ、万策尽き 自害する。無念のあまり庭の椿に向かい、「椿よ性あれば永遠に実を結ぶことなかれ」と辞世の句を残した。